言葉というものは、生活と深いかかわりを持っている。 動物のラクダは、日本語では「ラクダ」という単語しかない。ところが、アラビア語には、同じラクダを指すのにも、「人が乗るためのラクダ」「荷物を運ぶためのラクダ」など、それぞれ違う単語があるという。①砂

admin2021-11-16  39

问题     言葉というものは、生活と深いかかわりを持っている。
    動物のラクダは、日本語では「ラクダ」という単語しかない。ところが、アラビア語には、同じラクダを指すのにも、「人が乗るためのラクダ」「荷物を運ぶためのラクダ」など、それぞれ違う単語があるという。①砂漠に生きる人々にとってラクダは生活に欠かすことのできないものだから、それだけ言葉も細かく使い分けるようになったらしい。
    では、日本語ではどうだろうか。そう考えた時、思い当たるのは魚である。
    例えば、プリという魚は、成長の段階に応じて、ハマチ.メジロなど、いくつか違った名前で呼ばれている。こうした細かい言葉の使い分けがあるのは、魚と日本人の生活との間に深いかかわりがあるからだろう。
    日本は海に囲まれた国であり、昔から新鮮な魚に恵まれていた。②寿司や刺身のように、魚を生のまま食べる習慣があるのも、それだけ新鮮な魚がたくさん取れたからにほかならない。魚は日本人の生活に欠かすことのできないものだったのである。
    ところが、最近、日本人【R1】 ________魚はそれほど③馴染み深いものでなくなってきたようだ。台所を預かる主婦の間でさえ、「魚の名前を聞いてもそれがどんな魚なのかわからない」と言う人が増えている。
    そうした「魚ばなれ」の原因の一つは、魚屋や④八百屋よりも、スーパ.マーケットで買い物をする主婦が増えたことにある。スーパ.マーケットでは、たいてい、冷凍で保存した魚を刺身や切り身にし、1人前とか4人前とか、バックにして売っている。最初から切り身にしてある魚からは、とうてい泳いでいる魚の姿など思い浮かべることはできないだろう。むだがなくて簡単に食べられるのはいいが、調理の手間を省いたために、魚に対する主婦の関心や知識まで奪ってしまったのである。
    大人でさえ知らないのだから、まして子供ならなおさらである。サケの切り身しか見たことがない都会の小学生が、実物のサケを見て驚いたという話がある。まさか切り身がそのまま泳いでいるとは思っていなかっただろうが、笑うに【R2】 ________話である。この調子では、日本人は今に、プリとハマチの区別どころか、どんな魚も区別がつかなくなってし
    まうのではないだろうか。日本の伝統的な食文化が破壊されつつあると言っても、決して大げさではあるまい。
「④八百屋」の読み方を次から正しいのを一つ選びなさい。

选项 A、はっぴゃくや
B、はちおや
C、やしゃくや
D、やおや

答案D

解析 蔬菜店。
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