ひとに金を渡すとき、金を包むという言い方は今も残っている。そのしきたりがなお、まったくなくなってはいないからである。商売の金銭の受取は別だが、いくらかでも社交の意味が加わと、むき出しの金を渡すのは失礼になる。 冠婚葬祭に金を贈るときには包み金でなく

admin2021-08-16  17

问题     ひとに金を渡すとき、金を包むという言い方は今も残っている。そのしきたりがなお、まったくなくなってはいないからである。商売の金銭の受取は別だが、いくらかでも社交の意味が加わと、むき出しの金を渡すのは失礼になる。
    冠婚葬祭に金を贈るときには包み金でなくてはならない。そのために袋を市販している。もとは半紙を折って袋にしたものだか、今はその作法を知る人は少ない。売っている袋でも安物は、開くとすぐ金が出てくる。そういうのを見ると、受け取った人は、よその家に入ったら、着物を着ない主人公が出てきたのに似たあわて方をする。もうひとつ中袋がほしい。外袋があるのだから、むき出しとは違うが、開いたら、もう一つの中袋があって、その中に金が入っている。裸の金をはばかる気持ちはそれくらい強い。
    こういう人たちの間で、あるがままのことをことばにキ又を着せないで率直に述べる修辞が喜ばれないのはむしろ当然である。正確さが欠けているといって日本語は責められてきたが、お祝いに「裸の札」を差し出すのが明快であると感じる心をもつ人が大多数になるまで、仮に言いたいことがあっても、それはほかの言葉で、一重、二重と包み込む表現法がなくなることはないと考えられる。
    芭蕉「いひおせて何かある」と述べたのも、【R1】 ________、面白さも趣きもあったものではないという日本的【R2】 ________に根をもった言葉である。人間は全裸で人前にでない、出てはいけない、とするのが文明社会の常識になっている。もしそれが妥当なら、言葉だって、あからさまに使っては嗜みに欠け、公序良俗に反することになるはずである。
    言葉にも装いがいる。着物を着せれば、本当の姿があいまいになるのはやむを得ない。日本の着物は、肉体の線を殺すようになっている。外国の衣装が体の輪郭を強調するのとは対照的である。そういう日本語があいまいになるのはむしろ当然である。明晰とははっきり「言ひおほせる」ことで、美に反する。お金をむき出しにして渡そうとするのに似ている。失礼である。言いたいことがあっても、それをのっけから出してしまっては、実もふたもない。ためらい、控え、抑えて、計外ににおわす。やんわり寓するのが大人である。
    自分のこと、相手のことも、外国語の多くがそうであるように、はっきり第一人称、第二人称で示せば、わかりやすい。しかし、「私は私の家へあなたがおいでくださることに当惑を感じます」などと言ったらどうであろう。着物を着せて、「わざわざおいでいたただいては恐縮です」とやる。論理の線はぐっとやわらかくなり、それだけ【R3】 ________がただよう。来てほしくないのか、来てもらっては相手に悪いと思っているのか、とりようによってはどちらにもなる言い方は日本語である。
    はっきりした、誤解の余地のないような言葉では、相手の気持ちにつよく当たりすぎる。傷つけるおそれもある。わざとぼかして、真意をかくし、わかりづらくする。それがていねいな言い方になる。日本語の敬語は、言葉を包むヴェールのような役割を果たす。はだかの言葉をはばかる心が生み、発達させた体系である。
「金を包むという言い方は今も残っている」の意味を説明しなさい。

选项

答案お礼やお祝い、お詫びのための金を直接目に触れないよう包んで渡す

解析 原文中「金を包む」是指用纸袋把钱包起来,这里是指红白喜事中要把钱包起来再送给别人,避免让人直接看到钱。
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